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能力の時代から脳力の時代へ [企画・思考]

能力の時代から脳力の時代へ
Facebook「味噌汁・ご飯」授業研究会の投稿欄に次のように記しました。
      ◆
そろそろ発想を根本的に変えるべき時に来ています。
そう思うのは、私だけでしょうか。
マンダラートの考案者、今泉浩晃氏は、そのWelcomeSeminar中の初めの記事で次のように述べられています。
「・・・私たちは、これまで『能力』を問題にしてきた。
アタマの使い方を考えるとき、能力を高めることを考えたはずだ。
その能力とは何だったのか?
 
能力とは、工業化社会までの評価基準だったのだ。
やるべきことが決まっていて、評価基準も決まっている。
その上での、評価が『能力』だった。・・・(中略)・・・
その評価基準は、今、崩れつつある。
やるべきことの《ルール》が崩れてきたからだ。
今、私たちは、場も、ルールも、まったく違う相手と向き合っているのかも知れない。
言葉を変えれば、創造性、創造力の世界だ。
そこでは、能力の差などは問題になっていない。
何が差をつけるのかと言えば、この状況をどう考えるのか、自分は何をして生きようとするのか? という場の設定から考えなければならない。・・・」
二つほど例を挙げましょう。
「みんな仲良く」
この普遍的に見える評価基準が、今、揺らいでいます。
世界のかなりの国に自国優先という考え方が広まりつつあるように見えます。
「みんな仲良くなんて土台無理なのだ」
という考えが根底に見え隠れするようです。
「分断」などという言葉も、様々なメディア上で飛び交っています。
・・・なるほど、この状況をどう考えるのか、自分は何をすればよいのかと考えざるを得ません。
学校現場での例を一つ。
「遠足でのおやつ交換」が私の学校で話題になりました。
今まで子供たちの楽しみとして許容されていたことが、アレルギーの問題で難しくなりました。近隣の幼稚園などでは、すでに完全禁止となっているところが多いようです。
「命に関わることだから禁止しよう」
職員からそんな声が上がりました。
一人の教員が違う角度から意見を述べました。
「それはその通りです。でも、最終的にはその食品を食べる食べないを自分で判断できる子にしなければならない・・・」
このとき、他の職員はこの問題の深刻さに気付き始めました。
・・・なるほど、この状況をどう考えるのか、自分は何をすればよいのかと考えざるを得ません。
・・・で、これまで述べて来た学力の問題に立ち戻ります。
そもそも学校教育では、評価規準や評価基準を明確にして、教育活動を行います。学習指導要領がまさにそれです。大綱化という言葉はありますが、時代の変化に対応できるよう、その基準を変化させながら「生きる力」を育てるべく取り組んで来たのです。
ついには、小学校に英語が入り、道徳が教科化されと内容が増えました。28コマが限度とされていたところに、29コマ目をつくりだすことが求められています。
こういう状況下でのこれからの学力問題を「学業不振児問題」をどう考えていくかというところに我々は立っているのだと思います。
・・・なるほど、この状況をどう考えるのか、自分は何をすればよいのかと考えざるを得ません。
      ◆
このところ、Society5.0が話題になっている。
最終的には「人々が快適で活力に満ちた質の高い生活を
送ることのできる、人間中心の社会」を実現するのだという。
みなさんは、ふむふむと頷くだろうか。
今泉氏は先に示したWelcomeSeminarの中で、こうも語られている。
「・・・知識産業化社会、情報化社会、グローバル社会、コンピュータ化社会、等々、
変化のスピードは止まるところを知らず、だ。
その中で、ひとり取り残されているモノがある。
それは、人間の側の対応だ。
人間の思考と言ってもいいし、人間のシステムと言ってもいい。

つまり、あなたの、頭の問題。
その頭の《使い方》の、問題だ。」
Society5.0については、さらに深い思考が必要だと、私は思う。
例えば「快適」についての問い直しだ。
AIにより多くのモノ、コトが自動化されることが、果たして快適なのか
という問い直しだ。
まさに、我々の頭の《使い方》が問われているのだと私は感じる。
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