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画期的な算数授業に関する本、上梓しました [企画・思考]

画期的な算数授業に関する本、上梓しました
このたび次の本を上梓しました。
cover.jpg
こちらです
★日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業 算数科編
であります。
7月13日に発売されましたが、お陰様で好調です。
私も数ページ執筆させていただきましたが、日常授業と算数という
視点から書かれたある意味画期的な本だと自負しております。
是非とも一度目を通していただければ幸いです。
明治図書のコメント欄には次のように書いてくださった管理職の方が
いらっしゃいます。感謝、感謝です。
「算数の授業づくりに悩む若手教員のバイブルとなりうる本だと思います。
 オススメです。2017/7/3150代・小学校管理職」
なぜ、バイブルとなりうる本なのかはお読みいただいて判断いただければ
と思います。
もちろん、批判も大歓迎です。できれば、実践をもっての批判であって
ほしいと願っています。あくまでも日常授業改善の取り組みですから。

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学習指導要領の変遷を読み込め!!2 [企画・思考]

学習指導要領の変遷を読み込め!!2
時代とともに、学習指導要領は大きく変化を遂げてきたのだろうか。
ふと、そんな疑問が湧き起こった。
そう、前回書いた。
私が着目したのは、学習が遅れがちな子について、学習指導要領は何を
示して来たかということだった。
例えば昭和43年度版の総則には次のような記述がある。(国立教育政策研究所
「学習指導要領データベース」による)
第1章 総則→第1 教育課程一般→8 以上のほか,次の事項について配慮する
ものとする。
→(6) 学業不振の児童については,特別の配慮のもとに指導を行なうこと。
昭和52年度版では、それが次のように変化している。
8 以上のほか,次の事項に配慮するものとする。
→(3) 学習の遅れがちな児童,心身に障害のある児童などについては,
   児童の実態に即した適切な指導を行うこと。
これを見る限り、昭和の学習指導要領では、学業不振、学習の遅れがちな児童
という言葉をわざわざ使って、配慮や適切な指導が必要だと示している。
では、平成元年度版ではどうか。
同箇所は、次のようになっている。
第4 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項
→2 以上のほか、次の事項に配慮するものとする。
→(4) 各教科等の指導に当たっては、学習内容を確実に身に付けることができる
よう、児童の実態等に応じ、個に応じた指導など指導方法の工夫改善に努めること。

この記述を、皆さんはどう読まれるだろうか。
私は、前半部分はよいと思う。どの子も学習内容を確実に身に付けることを意識せよ
ということだからだ。しかし、後半部分がいただけない指導方法の工夫改善に努めれ
ばよいということで、努力目標となっているのである。
「指導を行うこと」という強い言い方からは随分と後退しているように私は感じる。
平成10年度版ではさらに次のようになる。
(5) 各教科等の指導に当たっては,児童が学習内容を確実に身に付けることができる
よう,学校や児童の実態に応じ,個別指導やグループ別指導,繰り返し指導,教師の
協力的な指導など指導方法や指導体制を工夫改善し,個に応じた指導の充実を図ること。
平成20年度版も同様である。
(6)各教科等の指導に当たっては,児童が学習内容を確実に身に付けることができる
よう,学校や児童の実態に応じ,個別指導やグループ別指導,繰り返し指導,学習内容
の習熟の程度に応じた指導,児童の興味・関心等に応じた課題学習,補充的な学習や
発展的な学習などの学習活動を取り入れた指導,教師間の協力的な指導など指導方法や
指導体制を工夫改善し,個に応じた指導の充実を図ること。

では今回の改訂ではどうか。
「第4 児童の発達の支援」→「1 児童の発達を支える指導の充実」→
(4) 児童が,基礎的・基本的な知識及び技能の習得も含め,学習内容を確実に身に付け
ることができるよう,児童や学校の実態に応じ,個別学習やグループ別学習,繰り返し
学習,学習内容の習熟の程度に応じた学習,児童の興味・関心等に応じた課題学習,
補充的な学習や発展的な学習などの学習活動を取り入れることや,教師間の協力による
指導体制を確保することなど,指導方法や指導体制の工夫改善により,個に応じた指導
の充実を図ること。その際,第3の1の(3)に示す情報手段や教材・教具の活用を図る
こと。

もはや、「学業不振」や「学習の遅れがちな児童」という言葉は、「児童や学校の実態
に応じ」や「個に応じた指導」という言葉に置き換わり、見えなくなっているように
私には思える。
かつて現場の教師には「自分のクラスからは落ちこぼれを出さない」という意識があった
ように思う。今では、その子の能力に応じた指導の場を沢山用意したので、そこで
何とかなるでしょうというようにも、読み取れる。

でも、そういう読みは正しくないと私は思う。
これまでの流れをみるならば、むしろ前半の
「児童が,基礎的・基本的な知識及び技能の習得も含め,学習内容を確実に身に付け
ることができるよう」を重視しなければならないのである。
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学習指導要領の変遷を読み込め!! [企画・思考]

学習指導要領の変遷を読み込め!!
時代とともに、学習指導要領は大きく変化を遂げてきたのだろうか。
ふと、そんな疑問が湧き起こった。
そんな時に見つけたのが、国立教育政策研究所ウェブサイト内の
「学習指導要領データベース」である。
利用にあたっては、当然のことながら「備考」に示されている、著作権上の注意点に
留意しなければならない。
この夏、おそらく多くの教師が、「新学習指導要領」に目を向けるだろう。
私はこんなときこそ、学習指導要領の足跡に目を向けるべきだと感じる。
だから、このありがたいデータベースを使って、過去の学習指導要領をじっくりと
読み込もうと思う。
全部は無理。でも、例えば、「総則」に触れるだけでも骨格の変遷は見えてくるに
違いない。「新学習指導要領」は173ページだ。しかし、解説を含めると、それは
一気に肥大化し、総ページ数は、2285ページに及ぶ。
「何を学ぶか」よりも「どう学ぶ」かが重要だ、とはどこかで聞いたような
フレーズだ。どう読めばよいのかを、文部科学省には是非示していただきたい
と、私は思う。

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「主体的・対話的で深い学び」って何だ8 [企画・思考]

「主体的・対話的で深い学び」って何だ8

前々回、次のように書いた。
「・・・つまり、自分にとって学ぶ必要があることなのである。
必要なことを必要なところから学び始める、これでいいのだというあたりまえの
ことに改めて気付くのである。」

さて、大問題はここからだ。
小学校では、これを実現する場がほとんどないということだ。
例えば、大村はまさんが実践されていたような、個が個の課題を追究する授業なら
可能かもしれない。
教科という枠組みが存在する限り、カリキュラムマネジメントをいくらしようとも
限界があるのである。可能性が残るのは、総合的な学習の時間くらいのものだろう。
これを、教科の中で実現しようとすると、小学校では混乱が生ずる。
例えば、言語活動というやつだ。確かに、さまざまなOUTPUT活動がこの間工夫され
実践されてきた。
しかし、同じ教科の中で「主体的・対話的で深い学び」を実践しようとすると、相対的に
習得の時間が特に影響を受ける。昔から3R’sと呼ばれてきた所謂「読み」「書き」
「計算」のような基盤学習が時間的に疎かになると感じるのは私だけだろうか。
ましてやそれを宿題にしようなどというのは本末転倒のことなのだと私は思う。
敢えて言う。
「目を覚ませ」
と。
野中信行先生は、ブログ「風にふかれて」で次のように話されている。
複数回に渡り指摘されているので是非とも読んでいただきたい。

    ここをクリック。

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日常授業のハイブリッド化 [企画・思考]

日常授業のハイブリッド化
フランス政府は、7月6日、2040年までに国内のガソリン車とディーゼル車の販売を
禁止する方針を明らかにしたそうだ。
要するに、EV(電気自動車)への移行目標を明確にし、コミットメントしたわけだ。
どこかで踏ん切ることが必要と考えたのかもしれない。あるいは、退路を断って、
一歩進めないと環境問題の解決には結びつかないという危機感の表れかもしれない。

さて、日常授業を車に例えてみたらどうだろうか。
ガソリン車に乗り続けるのは、従来型の一斉指導を何の問題なしと考えて、乗り続け
るのに似てはいないだろうか。
例えば、「挙手→指名型」の授業である。

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「主体的・対話的で深い学び」って何だ7 [企画・思考]

「主体的・対話的で深い学び」って何だ7

前回、次のように書いた。
「・・・つまり、自分にとって学ぶ必要があることなのである。
必要なことを必要なところから学び始める、これでいいのだというあたりまえの
ことに改めて気付くのである。」
そして、マンダラに軸があることにも気付いた。
では、「主体的・対話的で深い学び」のマンダ(中心・真理)は何かということだ。
迷っていたら、私が師と仰ぐ今泉浩晃氏が明快に語ってくださった。
この記事である。
そう、「自分の人生をデザインする」ということなのだと思った。
これからの時代を「生き抜く」子供たちには、「自分の人生をデザインする」という
ことを子供の頃から教え、育てなければならないのだと思う。
子供には、自分の人生を見通すことは難しい。だから大人や教師が、教え、導かなけ
ればならないのである。それは、生き方を押しつけるということではなく、デザイン
するということでなければならいのだと、私は思う。
拙著「2W仕事術」では、最終章にそのことに触れた。
教科等の学習は、それぞれの領域で戦後大きな進化を続けて来たように感じる。
なんだかんだ言っても、特に小学校ではそこで学び得る「知識」が重要だのだろう。
同時に、分割された教科ごとの知識を巧みにいかし、人生をデザインする術を子供
たちに身につけさせる必要があるのである。
今泉氏は、ずっと明快に語って来られた。
「ツールが必要だ」
と。
人生をデザインするツール。
MandalArtとLifeArtとして、それが具現化されている。


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「主体的・対話的で深い学び」って何だ6 [企画・思考]

「主体的・対話的で深い学び」って何だ6

最終型ができたところで、これを5Wマンダラに重ねてみる。
スライド4.jpg
こんな感じだ。
縦軸は、何かに興味・関心を持って学び、新しいことを創造することに向かう。
横軸は、そのためには時間的な見通しをもって粘り強く取り組み(繰り返し考え)
ときにふり返りながら持続することが大切。
そんなふうに読み取れる。
その際に、学びを円滑に進めるための条件として浮かび上がって来るのが、
ななめ軸に示されたことだ。
即ち、過去のデータ、情報、知識、知恵、智慧の閲覧と(それらを有している)
他人との交流だ。
さて、最も大切な中心は何かということが残されている。
それは、何が人間の学びを創造へと向かわせるかということだろう。
それは5Wマンダラと重ね合わせた時に既に明確になっている。
中心はあくまでもWhoだ。ここでは、自分だ。
つまり、自分にとって学ぶ必要があることなのである。
必要なことを必要なところから学び始める、これでいいのだというあたりまえの
ことに改めて気付くのである。
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「主体的・対話的で深い学び」って何だ5 [企画・思考]

「主体的・対話的で深い学び」って何だ5

「主体的・対話的で深い学び」について考えている。
マンダラの最終型はこれだ。
スライド3.jpg
ここまで整理して、自分なりにはわかった気がする。
では、「主体的・対話的で深い学び」のマンダ(中心)は何かと言われれば、
回転(サイクル)と繰り返しなのだと私は思った。

以前にも書いたが、中山正和氏は、問題解決の方法は一つしかないと言い切られている。
次のプロセスだ。
一、真実の情報「データ」をたくさん集めること。
二、このデータをもとにして正しい推論をすること。
三、推論が行き詰まっても放棄しないこと(問題が解決しなくても諦めない)。
四、「たとえ話」をしてみること。
五、荒唐無稽な仮説も立ててみること。
まさにこのことを言っているのだと、私は感じた。

それにしても、自分なりにマンダラに整理してみないと、どうもわからないと
思うのは私だけだろうか。
解説のそのまた解説がないとよくわからない学習指導要領。
そう感じるのは私だけ・・・。
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「主体的・対話的で深い学び」って何だ4 [企画・思考]

「主体的・対話的で深い学び」って何だ4

「主体的・対話的で深い学び」について考えている。
最後は「深い学び」だ。
これも、マンダラを使い、私なりの「整理」をした。
最終型がこれだ。
スライド2.jpg
縦軸は「各教科等の特質に応じた『見方・考え方』を働かせ(新しい何かを)創造すること」
なのだと考えた。後は、それを実現するための条件だと思った。
キーワードは「創造」だ。
私が師と仰ぐ今泉浩晃氏は、1987年に「メモ学入門」を出版された。
そこには「創造性を高める メモ学入門」と書かれている。当時すでに、創造性を高める
具体的な方法論を今泉氏は提起されていたのである。
40年の時を経て、中央教育審議会は、ようやくそこに至ったとは言い過ぎだろうか。
いずれにしても、創造することが大切だと言っているだけでは何も始まらない。
具体的な方法論を構築し、誰もが「創造性」を発揮できるようにすることが大切だと、
私は改めて思う。





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「主体的・対話的で深い学び」って何だ3 [企画・思考]

「主体的・対話的で深い学び」って何だ3

「主体的・対話的で深い学び」について考えている。
考えているというよりは、定義を自分なりに読み切ろうとしているといった方が
正しいかもしれない。
残念ながら、前回の3つのマンダラを繰り返し眺めても、
「主体的・対話的で深い学び」って結局何をすることなのということが今一つ
私にはぴんと来ない。
そこで、原点に立ち戻り「主体的・対話的で深い学び」というフレーズをみてみたい。
前半部分には「・」があることに気付く。
これは、ある指導者によると、互いに重なり合うベン図のようなイメージだという。
つまり、主体的と対話的は完全に分離できるものでなく、一部が重なり合う一体的な
ものなのだそうだ。
というわけで2枚のマンダラを重ねてみた。
スライド4.jpg
どうだろう。こうすると何をすることなのかが縦軸に見えて来る。即ち、
「興味・関心を持ちながら見通しを持って粘り強く取り組む(考える)こと」だ。
また、縦軸以外のことから、その際に周囲の人から学んだことを手掛かりとすることや
ふり返りを入れることも忘れてはならないと言っているのである。
肝心の何に取り組むかは、今一つはっきりしないのであるが、
「学ぶこと」「自分のキャリア形成の方向性」がヒントになるだろう。
つまり、「生涯を通して学び続けること」「自分の夢や大きな人生目標」ということに
なろうか。
私なりの解釈で創り上げたマンダラがこれだ。
スライド1.jpg
私なりの「整理」である。

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